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2014年8月

2014年8月11日 (月)

ウンディーネ、屈服した自然

フーケー「ウンディーネ」

これが最後の教材、というのは素晴らしい選択でした。

 自然の化身、水の精ウンディーネが、「魂」という名の「文化」と引き換えに人間の、男の社会に取り込まれていく物語。

 恐れるもののない自由な存在であるウンディーネが、「一人前の女」となって、その天真爛漫さを失いはてる過程は、「自然」が「文化」の領域に取り込まれジェンダー化していく過程でもあります。

 「文化」は、そうした様々な「線引き」の機能なのでした。

 

最後のスク、が終わりました。

私にとってはおまけとしてのスクだったけれど、学ぶことの楽しさを十分に満喫できました。ああ、世界は広く、世界は深いですねえ。

もっともっと勉強したい、という思いが強くなりました。

 充実した6日間、最高でしたsun 

2014年8月10日 (日)

美少年はヘルメス?

さて今日は、シュニッツラー「夢小説」と、トーマス・マン「ベニスに死す」。

 「夢小説」は、キューブリック「アイズ・ワイズ・シャット」の原作。「現代」の萌芽に巣食う新興ブルジョア階級の世紀末的偽善を問う、とでも整理しておきしましょうか。

 男女の関係性の成長はいまだ遠し、のまま、「現代」突入です。

 「ベニスに死す」は、ギリシア悲劇の形式と約束事をきっちり守って書かれた美しい物語です。

 映画化に際して、原作のイメージを裏切らない絶世の美少年を探し出したヴィスコンティ監督はスゴイですね~。ディオニソスの使いとして、主人公を破滅と死へ導くヘルメスとしてのタッジオ、凄いthunder

 古き良きヨーロッパの終焉に際して揺らぐ男たちの価値観に、主役ともいえるマーラーの音楽がぴったりと寄り添います。

 マン自身の、美に淫して生きる者としての居場所探しのようにも見えます。

いよいよ、最後のスクも明日で終わりです。

あすは、フーケー「ウンディーネ」。

これも美しい作品なので、楽しみです。

 

2014年8月 9日 (土)

ホフマンとシュトルム

4日目の今日は、ホフマンとシュトルム。

 ホフマンは中学生のときに読んだ覚えはあるれど内容は全然覚えていないので、短編集を買って読み直しました。シュトルムは未経験なので「みずうみ」を購入、よみました。

 ホフマン「砂男」は、少女のころに読んだだけあって私の趣味に合います。

 シュトルム「みずうみ」は、ドイツ語の原文が美しいことがたやすく想像できる、透明感のあるきれいな短編です。

 ホフマンはロマン主義、シュトルムはドイツリアリズムのそれぞれ代表的な作品ですが、先生の読み解きが面白くて引き込まれました。

 

 シュトルムの「みずうみ」は、ホモソーシャリティ(男同志の社会的連帯=女を家父長制の中に閉じ込めるシステム)の物語、という読解に目の前がぐぐっと開かれる思いでした。

 私たち(=70年代の女、という意味で)の言語世界にぴったり、違和感なく感じ取れる表現です。

 ホフマンの「砂男」を試験の題材にするつもりで、これからまとめます。

 それにしても、あっという間ですね。もう、残り2日。

 あすは台風の日、四国が心配です。

2014年8月 8日 (金)

クライスト「O侯爵夫人」

3日目の今日は、クライスト「O侯爵夫人」。

この不運な作家の、実にひねくれた作品は、しかし、現代文学の先駆 とされました。

ゲーテの素直な理想主義的作品から一変、人間のおぞましさ・醜さを初めて文学のテーマとした、画期的な作品だそうです。

この不快な作品の映画化、エリック・ロメール監督「O侯爵夫人」(1976年) を鑑賞しました。

DVD買って全部見ようは全然思えません。

この作品に出てくる男たちは、なんとおぞましい「男らしさ」の呪縛にとらわれていることか!

理想主義に殉じたウエルテルの清潔さが懐かしいです。

2014年8月 7日 (木)

ワーグナー トリスタンとイゾルデ

今日はワーグナーのオペラ鑑賞を含めて、「トリスタンとイゾルデ」の続き。

 教室でワーグナーを聴くことになるとは想像もしなかったので、うれしいサプライズでした。

 オペラは1983年のダニエル・バレンビム指揮 バイロイト祝祭劇場 のもの。定番だそうですが、トリスタンも老けてるね、イゾルデはどう見てもそのトリスタンのおばさんにしか見えないね、とういう突っ込みはやめましょう。

 ま、オペラなんでしょうがないでしょう。想像の翼を広げて、悲恋の主人公たちを麗しい青年男女に脳内変換するしかないですね~。

 

 授業後半は、楽しみにしていたウエルテルです。

 以下、授業で知りました。

 ウエルテルが、実らない恋に苦しむゲーテ本人と、実らない恋に絶望して自死したゲーテの友人の合体人物であること。

 ウエルテルは「読書小説」として、登場人物と読者自身が読書経験を共有する「仕掛け」を持っていること。

 ウエルテルのロッテへの恋は、まさに、同じ本を読んで同じ感想を抱く相手に対する「運命の人」確信から、であること(文学青年、なのね)。

 …当時流行の感傷主義にどっぷりと浸り、強烈な感情移入を崇高なものとする、いわば≪流行としての感動至上主義≫ こそがこの小説の原点であること、

 しかし、ウエルテル君。  

    …それで死ぬか "(-""-)"

 この小説発表後、若者の間で自殺が流行し、「ウエルテル効果」という言葉が誕生しました。

2014年8月 6日 (水)

文学B

「文学に描かれた恋愛―ドイツ語圏の作品を中心に」

 今日、初日は「トリスタンとイゾルデ」

 高校の時、世界史の先生が授業を放り出して2日かかってこの物語を滔々と話してくれました。もちろん、すぐに文庫を買ってむさぼるように読みましたよ。16歳、恋愛こそ人生、というお年頃ですから。

 さて、この物語、歴史的位置としては非常に興味深いものだったんですね! 

 キリスト教の、現生の愛を認めない坊さん勢力と、超観念論の「修行としての恋愛(ごっこ)」騎士道と、その二つの中世権力に真っ向から反逆を試みたこの無謀な不倫事件は、しかし、それぞれの階層がそれぞれに都合のよい物語として継承してきました、ということでしょうか。

 16歳の時に夢中になって読んだ物語は、死してなお、墓場に入ってなおも相手を求め続ける狂おしい「恋」の姿をきらきらと、ぎらぎらと、見せてくれました。

 おお、恋とは、なんと素晴らしいものだろう。  そう、恋こそ人生、恋こそ命、恋のない人生なんて何の意味があろうか…。 恋へのあこがれに身を焦がした健全な少女時代でありました。

 明日は、待望のウェルテルです。

 

2014年8月 4日 (月)

さて

行くか。

最後のスクーリング。楽しもうっと。

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